【7月】 エッセイ塾

清瀬のエッセイ塾 7月25日

みんなの作品を紹介しあいました。完成したエッセイは声に出して読むことで、 文章のつっかかりが分かります。文章が完成したら必ず声に出して読んでみましょ う。

また宿題としていた「死について」の作品が集まり、5本、執筆者に読み上げて もらいました。高齢の方が死に向かう辛さを、短い人生だからこそ今をよく生き たいと書いた方、若くして自殺した知り合いのことを書いた方、また差別され入 水自殺した商いをしていたおばちゃん、その息子も就職できず自殺していたとい います。東日本大震災でいまだ実家の人たちの行方が分からない知人のことー。 重い重いテーマでしたが、社会とどっぷり結んだ作品が並び、参加者はいろいろ 考えさせられていました。

【6月】 自分史塾

東村山の自分史塾で「うまくなる文章の作法」を勉強

6月18日は、プロの作家の文章も紹介し、「人を感動させるテクニック」を実践 してみました。他人の書きそうなことは避けること、オーバーな表現は興ざめす るのでやめること、個性的な文章にこだわり続けることを強調。
さらにテーマを決めたらむやみに変えないことも大切。書きたいと思った気持ち を大切にして、書き上げることをまずは目標に書いていきましょう。生徒さんの ひとりは本にしようと奮闘。後ほんの少しで脱稿します。出版パーティが楽しみ です。

作品の〆は「私の最後の名刺の肩書きはなんだろう」。

読ませる作品になりました。

【6月】 エッセイ塾

清瀬のエッセイ塾は「文が変わるコツ」を学びました

6月27日に参加した生徒さんはほぼ全員が作品をもちよりました。 ひとりは小品で、退職して初めてもった名刺について書き、 読み上げて意見を出し合いました。そういえば退職後自分 を説明するものがあってもいいですね。その方の名刺は住所、 電話と名前だけですが、配達してもらうときや、友だちなどに配り 、結構役立っているそうです。

作品の〆は「私の最後の名刺の肩書きはなんだろう」。

【5月】 エッセイ塾

5月14日(土)と23日(月)開催。「うまくなるテクニック~言葉の使い方」
日記やメモも手を入れればエッセイ に変身します。練習問題に挑戦してもらいま した。文章のうまい、へたより 文を書くときの約束ごとを守り、 ちょっと段取 りを考えるだけで見事に変わりますよ。また、漢字とかなをどう 使いわけるか、 意味を分かりに くくする言葉のナゾについて学びました。
意味をあいまいにする 言葉がたくさ んあることをご存じですか。 そんな言葉を使わない練習をするだけでも、ぐんと文章はしまります。自分勝手 な文章を戒めることから 始められるといいですね。

【4月】 エッセイ塾

清瀬のエッセイ塾で「東日本大震災について書く」(4月9日)

エッセイは、時代に生きる自分が考え、感じたものを書くという点で、大震災に ついては書かなくてはならないもの。まだ進行形ですが、日々の中でそれぞれが 感じ、怒り、胸をつぶされるような思いで暮らしていることを、エッセイに書く ことにしました。

この場合、ただ報道だけでものを考えるのではなく、自分自身に照らし合わせ、 こういう事態が突然襲ってきたらどうなのか、それとどう向き合って行くのか、 生と死。さらに被災した方のこと、政府・東電などのずさんな対応をどう見てい るのかなど、しっかりと感じてペンをとることが大切です。

すでに3人が、地震のあつたその日のこと、そのとき何を思ったかを書いていま す。このテーマで数本書くという意欲的な方もいます。

また、この日の講義は「刹那をどう生きるか」「今生きている不思議さをよくよ く感じ取り、生をいつくしみつつ暮らす大切さ」などについて話しました。今の 瞬間が明日も続くと思って平々凡々に過ごすもつたいなさ、生かされているとい うことを感じ、よりよく生きようとする姿勢こそ大切なのではないでしょうか。

この日、生徒さんのひとりの本が完成。披露しました。恩師の生きてきた道を書 いた1冊。もっと話を聞こうとしていたとき認知症になられたものの、聞いただ けでも残しておきたいとこのほどまとめました。題名は『山田百合子先生の生き てきた道』。16ページのかわいい本です。

【3月】 エッセイ塾

3月のエッセイ塾(清瀬)は「エッセイの味」がテーマでした。

エッセイは、今を生きる自分を書くこと。今を感じる私でいようと、  「東北関東大震災」をテーマに次回まで作品を書くことが宿題に。嬉しいことに当日2人が地震について 作品を書いてきました。1人に作品を読んでもらい、大地震について体験を出し合うとともに、敗戦直後 の停電の話も出て、災害時の国のあり方、地域のつながりの大切さ、原発への政府の責任問題などおおい に交流。自分も関わる進行形の災害だけによく調べ,感じ、考えて書くことが必要と強調しました。

講義内容は3点。

①「事実から何を拾うか」。

できあいのレッテルではなく、目撃したものをどう選択し、並べるかで、存在感を満たせる作品になる こと。読む人の想像力を刺激する大切さに触れました。 また、「低い視線で書く姿勢」の必要さも。はいつくばるように視線を低くしてこそ初めて見えてくるも のがあります。花のあいらしさやたくましさは、顔を近づけ、腹ばいになることでこそ発見があるものです。

②自分に出会う

才能をもった作家も、「ひけ目」「不満」「劣等感」あり。それこそが、新しいものを生むすさまじい エネルギーに。自分の作品に不満をもつのも、よりよい文章を書くためにはむしろ必要なこと。大切な のは、これから書く文章。自分が納得できるものでありたいもの。

③人の批判受けられる柔らかさを

文章修業に必要なものです。人の意見に耳を傾けるのは、自分を知る上で実に大切。意見を受け入れる 柔らかさと自分を失わない強さが求められます。吸収して大きく成長するのだという確信をもちましょう。

【1月】

文章を磨く

 

今年1回目のエッセイ塾を1月8日開催。今年のテーマは「文章を磨く」。

年始めということもあっても「エッセイとはなんぞや」からスタート。生徒さんの中には、「エッ セイってなんだ」と、思い悩んでいた人もいて、タイムリーでした。

日本のエッセイストの元祖は清少納言といわれています。豊かな感情のままに人物描写をしている 「枕草子」を、そういう目で見てみると面白いかもしれません。吉田兼好の「徒然草」はちょっと 教訓的な示唆も入った優れたエッセイ。今に通じるものがたくさんあります。いずれも時代を背景に、 どう生きるかという真摯な目、気迫があり、なまじのエッセイストの作品よりおすすめです。

1月のテーマは「文章をよく知る」。文の成り立ち、修飾語の迷わない使い方、独立語の粋な使い方 を勉強。練習問題にチャレンジしました。

また、今年は毎回、生徒さんの作品を読んでもらい、合評することも決め、今回取り上げた作品は 「猫がきた」。書いた方は2冊本にまとめた健筆な女性です。

猫を描くようでいて、自分や家族、夫婦の微妙な関係を、サラッと表わしていて、なかなかの作品 でした。参加者からは自分も子どもたちが小さいころ動物を飼っていたことや、動物が死んだとき の辛さなど、ひとしきり動物を話題とした話で盛り上がりました。「そのころ」に思いが飛んで行ったようでした。

塾はこうした交流も大切にすすめています。

 

魅力ある文章とは、を交流したエッセイ塾

 

1月17日は「なぜいくら書いても魅力のない文章になるのか」を講義。疑問と悩みをいろんな角度で話し合いました。 「ただ書きたいから書く」「好きなように書く」のでは、なぜか平板でつまりません。「何を書きたいのかがはっき りしていない」ことが理由のようです。まだ自分の気持ちが定まっていないのに原稿用紙に向かっても、あせるばかり で何も活字にはなりません。「うまく書けないのは頭の中に書く内容が定まっていないから」で、書けない=考えるの がおっくう、面倒。つまり考える訓練が必要なのです。

原稿用紙に向かう前に「私は何について、どう書きたいのか」はっきりさせてから、ペンをとるようにした方がいいですね。

今年は毎回作品を持参するのが約束。ほとんどの方が持参しました。正月に帰っ て来なかった息子を描いた「わが家の正月」、「まちの本屋が消えていく」では、 馴染みの本屋が昨年大みそかでしまってしまったさみしさを。病気の夫との日々 や、亡くなった兄との思い出をつづった作品が寄せられ、紹介されると、こもご も体験が出され、いつもより2時間も延びるほどでした。

 

2011年のテーマは「文章を磨く」

ちょっとだけ、「いい文章」に挑戦します。

1月は「文章をよく知る」。

そもそもエッセイとは何かを紹介。自由でいいようでいて、約束ごとがあることを勉強しました。 まずは「私の思い」があること、「私でなければ書けないこと」にこだわること。人には生理的リズムがあり、 いくらすごい人の文章であっても、それがいいということではなく、あくまで自分のここちよい書き方を探っていくことを指摘。

また、なかなか書けない理由のひとつには言葉、語彙が少ないこともあることか ら、常に小さなノートをバックにしのばせて言葉拾いを楽しむこともすすめまし た。この時代に生まれた言葉も、気にしてみようというわけです。