4月27日の読書室は、昭和を代表する女流作家・円地文子。『女坂』を中心に交流しました。家や夫に縛られた女の一生を、坂を登り続ける苦しみにたとえて描いています。話してくれた元司書の方は、明治に活躍した樋口一葉の『にごりえ』『十三夜』『いやだと云ふ』などの作品も紹介。このころの女性の生き苦しさを、さまざまな女性を通じて紹介しました。円地文子は30代に片方の乳房を切除、40代には子宮摘出という大病を患い、この辛い経験を通じて女性を鋭く見る目を養ったといわれています。どの作品も女性が人として生きることをはばまれ、報われない生き方を虐げられる中、最後まで自分を捨てずに生き抜いたことが強調され、参加者からは「こういう女性たちがいたからこそ、今があるんですね」としみじみ語られました。
次回は7月27日。林芙美子を取り上げます。作品は『晩菊』
2月のエッセイ塾は擬人化に挑戦
新聞で取材の仕事をしていたころ、漫画家のはらたいらさんと全国各地を一緒に取材して回る企画をすすめていました。商売をしている方を訪ね、商売のコツやら喜びやら難しさなどを聞き、そのときの漫画を一コマ描いてもらい、むろん原稿も。若気の至りか、結構原稿の直しをお願いしたりしたものの、快く受けてくださいました。
はらさんの口癖は「逆転の発想でものをみる」ことでした。
例えば自分がボールペンになつたつもりで、使っている人の性格を描いてみる。果物屋なら、「あのメロンはもっと前に並べろと言っているよ。あれれ、隣で文句を言ってるのはりんごか。自分はいつまでここに置くのだと文句たらたらだ」なんて。
見たままを書くのではなく、もっと面白さを追及しろと言いたかったみたいです。
宿題としましたが、やる気まんまんの人、できないなあと嘆く人、もう何になるか決めたという人あり。次回がお楽しみというところです。
1月27日は百人一首を取り上げました。毎年1月は百人一首の女性歌人をとりあげています。
今回は右近。とりあげた歌は「わすらるらをば思はず誓ひてし人の命の命の惜しくもあるかな」取り上げた本は「ときめき百人一首」小池昌代、女房三十六歌仙の抒情」田中阿里子、「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」小名木善行、「鑑賞 百人一首」石田吉貞 など。
思いが届かない人への恋慕、寂しさ、そして痛烈な皮肉がからまつている歌と思つていたものの、「もう私のことなんてどうでもいいのよ、誓いを破るなんて何が起こっても不思議はないから。あんた、命は惜しくないの?」と啖呵をきるという豪快な歌と解釈している書もあり、面白くなりました。
なかでも国学者賀茂氏が「 恋の歌を、騙し合い、興奮、偽善なととしか理解しない人は、人の持つ詩の最も美しい部類を、みずから放棄してしまうもの。百人一首はこの歌を、素直に美しい愛の歌ととらえている。それを忘れたくない。と指摘してること。知り、納得。
素直に歌の世界を楽しむべしと痛感しました。
次回は4月27日土曜日 円地文子の「女坂」です。
■12月のエッセイ塾は望年会
持ち寄りで食事会をし、1年間を振り返り、交流しました。
この1年で出版した生徒さんはふたり。同時に全員の作品をそれぞれが文集にまとめ、いろんな書き方を学びました。
来年のテーマは、日々の暮らしを丁寧につづる。特に消えていく昔の習慣、伝統、ならわしを幼いころの暮らしを通して描いていく
エッセイ塾では年1、2回.外へでかけます。
11月26日は東京福生市の石川酒造へ。160年続く酒屋で、建物は国の登録有形文化財に指定。大きなけやきや木々が並びます。
今回はここでエッセイ塾。蔵で生徒さんたち手作りの文集が展示され、見学をかねて訪ねました。
まずは、庭に立つ洒落たレストランでランチ。
続いてゆっくり蔵に展示された作品や陳列された陶器などを見た後、これも160年の歴史ある母家でのエッセイ塾。ここで書の勉強をしている生徒さんの口添えで母家の応接間を使わせていただき、感謝と、どんな建物か興味いっぱいでした。
今回の塾のテーマは作家・江国香織の「とるにたらないもの」から、日常の、気にしないようでいて、とても愛着のあるもの、かけがえのないもの、愛おしいものは何か、取り上げました。
江国氏の本には、輪ゴム、傷、石けん、ゆで卵など。それが微妙な繊細な感性でづづられていて、皆、感動あるのみ。そんな風には書けないけれど、身の回りの気になるものについて作品にしようと話し合いました。
10月28日に開催。13人も参加。嬉しい悲鳴でした。
司書の重村さんはこの日のために一葉関係の本7冊読破。
冒頭話したのは、「一葉といえば貧しく苦労ばかりの人生と思われがちだけれど、生い立ちは違うし、そこで培われた生き方が貫かれている」と強調しました。
祖父は百姓総代として江戸に出て、老中に直訴した正義感の強い男。父は幕府が西洋の書物を調べるために作った、今でいう外務省情報局のようなところでも働いた、開明的な人物。
学問を大切にした父やその家庭環境で、4歳で小学校へ入学、冒険ものが好きだつた一葉は6歳で「里見八犬伝」を3日で読んだというのですからビックリ。
父親の死後、戸主となり、家族を養うため物書きをめざすものの、彼女の書き方は当時の風潮には合わず苦労続きだつたものの、さまざまなやり方で乗り越えていく姿は痛快そのもの。
お金持ちからの借金は当然のような感覚?痛快なり。女性には仕事がなかつた時代。著作の多さは目を見張るものあり。なぜそんなに書けたのか、分かりました。一葉の家にはいつもたくさんの学生らが議論に集まっていて家計が苦しいのに食事などもてなしていた一葉。
なぜふるまいなんかと疑問だつたのですが、彼らの話からもいろんな情報を得ていたらしいのです。のしかかる壁を独自に切り開いていたんですね。
その生き方に参加者も大いに共感。やはりすごい人なのですね。
次回は2024年1月27日土曜。百人一種の女性たち。ぜひおいでください。
表現力、語彙の少なさが書く時になやまされるところ。
プロのエッセイを読んで、「言いたいことをいうためにどういうモノをもってきているか」「どういう表現で心のうちを表しているか」など学びました。
目をこらすべきは、作品の締め。うんと目を凝らしてみたい。ここに言いたいことがズバリ入っているからです。それも短文でさっと。縮こまらずに言いたいことを堂々と言うなんて小気味いいですねえ。
スペース「すてーじ・刻」では時々、スタッフ皆で、それぞれが行きたいところを探し、楽しむことにしています。いろんな取り組みをしますが、自分たちも楽しみ、交流するのが目的。ひとりではなかなか行けないところにでかけるので、なかなか面白いのです。
コロナ禍でずっと行けはかつたので9月、久しぶりに実施。箱根へ。
仙石高原すすき野群生地や箱根湿生花園なと時間かけて回りました。花の名前を調べたり、花びらの驚異的な美しさに息を呑んだり。立ち止まり、しばし見つめる場面多しで、何度も「もう行くよ」の声が飛びました。
観光は無し。たまたま立ち寄ったとこで食事。山並みを目前にのんびりお茶。ふっと心配ごとが出ると、じつと聞きいつたり。帰りも早く家路に。
エッセイの書き方は、日常の中に立ち止まり、対象をじっと見つめ、愛でて、具体的に書くこと。
ユーモアがあればなおいいし、品があれば極上
「蚊のまつげのおつるも(清少納言)」 例えがうまい、耳がとてもいいということを指している
1、具体的エピソードは必ずとっておこう
常日頃からに集めておくようにこころがける
自分の関心、興味のあるものには、つとめて数字の裏付けのあるところに目をつけ、わかりやすくて示
唆的なエピソードに目を配るること
2、一日の中で「うれしかったこと」を日々二つ見つける
こまやかに感じる習性を作っていく。視点は細かく、あたたかく。
例 気持ちよく目覚めたこと
旬の食材でおいしい料理ができたこと
雨あがりの木々が美しかったこと
テレビや新聞で気にいった言葉、文章を見つけたこと
些細で、小さな出来事も、自分の心のフィルターを通せば、楽し
み、喜び、いじらしさの種として受け止めることができる。
3、目に力を入れて、よくよく見つめる
4、暮らしの中で得た実感がちりばめられている母の言葉を大切に
一生懸命生きた暮らしの中からポロリと出た言葉
つぶやきのようなもの。探してほしい。
8月のエッセイ塾
佐伯京大名誉教授の論文「育成の衰弱は文化の喪失」(東京新聞8月1日付け)について交流
ジャニーズ事務所の元社長によるタレント志望の少年たちへの性的加害について論じています。
この問題の背後には、わが国の文化の最前線があまりに幼くなっているのではないかと指摘。背景には少年、少女を人気タレントに仕立て上げ、利益を生み出すという我が国のエンターテイメント文化の現状があること。
「かっこいい」「かわいい」が「価値基準となり、商品価値が生まれれば、メディアもそれを後押しする。少年・少女たちが市場に舞台に乗せられ、社会や文化の主役となり、音となが迎合する。
今日では「若いこと」が価値観を持つ。「新しいこと」が勝ちを生む。かつてはあたかも水滴がたまるように、経験や知識の久積を可能とする、ゆったりと流れる時間が大事であった。今日では経験や知識の蓄積は余計なもので禰時代の変化に対する軽やかな反応こそが価値の源泉となる。
年寄りは役立たずの存在になる。今日の文明が陥った「幼児化」というべきものであろう。
情報化という現象は常に新しさに価値を求め、常にアップデートを要請され、「上書きむされなければならない。
人も社会も同じでアップデートされ、「上書き」される運命にある。こうしてわれわれは「上書き文化」に浸っている。
だが、時間の中でゆっくりと経験を積み、吟味し、反復し、校正するという習慣の衰弱は「文化」の喪失を意味している。
文化とは、あたかも土地を肥し、植物を育てるように、時間をかけい人の精神をゆっくり育てるものだからである。
どうでしょう。考えてみたい問題ですね。
7月、増刷に踏み切りました。「女性の広場」などで書評され、特に男性からの注文が目立ちました。「娘の誕生祝いにしたい」「介護している妻に読んできかせたい」など。胸が詰まるほどだったのはガンで末期の女性からの電話でした。もう手がペンを持つ力がないとのことで、電話をかけてこられたのです。「後のことが心配で苦しくて仕方がなかったが、言葉のひとつひとつが身に染みて、笑って生きることにした。ありがとうございましす」と。実はこのときもう在庫がなく、私の残りの一冊を送ったのです。全くなくなったため、このほど増刷へ。ぜひ多くの方の目に留まればうれしいです。
7月22日開きました。
戦下の中で生きるとはどういうことだろう。現実にロシアのウクライナへの侵攻、世界で紛争が火を吐く。改めて制約の多い中、自分を通して書き続けた女性作家に思いをはせました。
日露戦争、第一次大戦、満州事変など戦争の中の生涯で、自分の感情をぶつけるように作品をだし続けた田村俊子。
幸田露伴に師事するも、作風に疑問を感じ、露伴から離れて、当時女性には珍しい言文一致で作品を書き始め、各新聞に発表。同時に女優としてもなかなかだったらしく、自分を持ち続ける力の深さに驚く。30代で書きまくつています。
青鞜社の創設にも声がかかつたそうですが、賛助会員止まりに。彼女は働かなくてはならず、裕福な女性の多かった青鞜社は、ちょっと違いを感じていたらしい。とはいえ、青鞜社の創刊号には「生血」という作品を発表。創刊号ではプロの作品は彼女の作品だけだつたらしいけど。
作家としての行き詰まりを感じることもあつたといいますが、中央公論や新潮などに田村俊子の特集が何度も組まれていて、著名な作家が並んでいて、注目されていたことがわかります。
亡くなって後に、田村俊子賞が創設され、第一回は瀬戸内寂聴の「田村俊子」。彼女が田村俊子のことを書くと決めるといろんなとこから連絡がきたとか。人気者だつたことがよくわかる。こんな時代にあつて生き抜く気力に脱帽するばかり。
次回は10月。.樋口一葉の「たけくらべ」を取り上げます。
わからない言葉は徹底的に調べたい。暑い日々。昼間も体がしんどいことが多くなりました。つい、うつらうつら。
ではうつらうつらとうとうとの違いつてなに?
うとうとー半分眠ってる状態。覚めているような気はするけれど、でも気持ちいい。
うつらうつらー覚めている方に重点があり。眠たいけれど覚めてる。何か心配ごとがあつて寝付けないようです。
この日の生徒さんの原稿にはなかなか面白いものがありました。「押しピンと画鋲」。皆さんはどちらを使っていますか。どうも関西と関東では違うみたい。「これって方言かも?」との指摘も楽しいですよね。身近なところで、「これってなに?」と思うものはたくさん。それを作品にできるといいですね。
雑誌「女性のひろば」の6月号に『あした転機になあれ』の書評が掲載されました。ぜひご覧くださいね。
また、沖縄県石垣市の方からは、『あした転機になあれ』を使って読書会を開いているとのメールをいただきました。本書は1本ずつの記事が短いので読み進めやすいようです。鹿児島の方からは市に依頼して点字にしてもらつたとか。これは男性でした。嬉しいお知らせでした。
コロナ禍でなかなか外歩きがたのしめなかつたこともあり、4月18日のエッセイ塾は、東村山の八国山散策へ。
トトロの山とも言われるなだらかな山。青々とした木々の中を歩き、ウグイスの鳴き声に耳を澄ましました。キンラン、ギンランという珍しい花を見つけたり、見事な藤棚は圧巻でした。
山の麓にあたるお粥料理のお店で昼食。自宅を、改装して夫婦で営んでいるこぢんまりとした店ですが、料理はすべての器が違っていたり、甘味でたのんだぜんざいについてきた昆布が、酒づきのような器にまんまるの塩昆布。なんだろうねと、興味深々。楽しませてもらいました。
お腹が満たされると、ここで塾を始めました。「今しか書けないことを、今、書いておこう」と、世の中の厳しい変化の中に生きる自分たちを見つめて書こうと話し合いました。
当日は先日みんなが作った文集も披露しました。それぞれ個性ありで、なかなか楽しい作品集が完成。
戦中の女性作家を見ていると、必ず出てくる作家ですが、なかなか手にとる機会のない田村俊子。幸田露伴に師事、26歳のときに『あきらめ』でデビュー。青鞜社の創刊号に『生血』を発表するなど多くの作品がある中で『女作者』『木乃伊の口紅』などを取り上げました。
やはり好き嫌いがはっきり分かれる作家かな。男女の恋模様が生々しい。官能を表現しきれているというか。自分を客観視していて、突き詰めていえば、男女というより、美しいもの、自分が思いを寄せるものをつかんでいたという激情にあふれているように感じます。
表現力のすごさには舌をまくほど。例えば書けなくなったときのことを「肉のついた一言もでてこなければ、血に匂いのする半句も出てこない」など。
時代は第一次大戦勃発、満州事変の起こった頃、女性には働く場がなかった中で、自分の思いをこんなにも率直に自分の言葉で出すなんて、とても考えられないことで、「新しい女」と言われた女性たちに大歓迎されたのもうなづけます。
参加した方たちからは表現のうまさに惹かれたという声が。今に通じる思いをちゃんと文にしているすごさに驚きの声も。もっと作品に触れてみようと、次回7月22日も引き続き田村俊子を取り上げます。作品は『晩香坂の愛』(工藤みよ子著 ドメス出版)
1、「春」の書き方
『春の数え方』(日高敏隆 新潮文庫) がおすすめ。
風趣豊かで繊細な季節描写を心がけたい。
春なら桜の花、秋の紅葉、冬は雪と、ありきたりな表現はなし。自分の感性で。
生徒さんの作品には 「大根をさくさくと切った」とありました。いいですね、
箏曲家・宮城道雄の耳
自然には、呼吸するような、ひそやかな音が満ちている。『春の海』を書いた宮城道雄は、“音”に対してすごい鋭敏さをもっていた。
目で見る世界にばかりとらわれていれじば、香りも音も手触りもない、ありきたりな風景画となってしまう。 目で見る情報や先入観に縛られていては、とおり一遍の季節しか描けないし、ぼんやりと接していては深い感触を得ることはできない。
エッセイストを書く者にとって、自然や季節の移ろいとの触れ合いは、いわば必要不可欠の訓練。そのことをいつも心に留め、季節を感じるひとときを日常にもってほしい。音や匂いや肌触りを伝えるような季節描写はきっと、文章に妙味をもたらしてくれるはずだから。
落合恵子さん主宰のクレヨンハウスへ。土曜コースし火曜コースと2回行ないました。落合さんは「ウイメンズ・ステージ」で3回インタビューしています。東京・青山から吉祥寺に移転したとのことで、見学と買い物、またレストランでエッセイ塾も行ない、交流し、存分に話し合いました。
コロナでなかなか外に出かけて交流という機会がなかったこともあり、久しぶりにおしゃべりとおいしいランチにケーキ・飲み物を堪能。そのケーキの大きなこと。最近は物価高もあり、ケーキはこぶりになっていますが、ここのスタッフによると「心もお腹も満足してほしいから」と、たっぷりのモノ。嬉しい限り。
この日は以前、開催していた西東京市のエッセイ教室からの参加や、タブロイドの編集長の飛び入りもあり、いいひとときとなりました。
エッセイ塾の宿題は「吉祥寺のクレヨンハウスを訪ねて」。いろんなことを書くのではなく、エピソードを絞り、音や匂い、色も加えるべし。さて、どんな作品ができるか楽しみです。
「ウイメンズ・ステージ」誌上で映画の紹介をしてくれた方からの情報です。
上映中の二つの作品「SHE SAID-その名を暴け」「ヒトラーのための虐殺会議」。(東京・立川シネマシティ他都内全国各地で上映中)
映画「SHE SAID-その名を暴け」(2020年/アメリカ/129分)
ハリウッド゙大物プロデューサー(「ロード・オブ・ザ・リング」「英国王のスピーチ」他を製作)゙ワインスタインの数十年にわたる<性的暴行犯罪>をNYタイムズが報じ(2017年)、その報道に携わった二人の女性ジャーナリスト(子育てしながらの姿も)を中心に描いています。
数十年にわたって犯罪が沈黙させられてきた隠蔽構造がだんだん明らかになっていき、ついに当事者が勇気をもって声をあげる過程がNYタイムズ編集部の調査報道のあり様と合わせて一級のドラマに。
2017年10月8日NYタイムズ最初の報道の3日後、ワインスタインは自らのカンパニーから解雇され、翌年起訴2020年2月有罪判決、3月23年の禁固刑に処され、今も審理は継続中とのこと。
その後広がった#MeToo運動によって、大きな文化的変化をもたらしハリウッドやTV制作現場では性的シーン撮影現場には俳優を守るためのインティマシー・コーディネーターを立ち会わせるなどと変化して(ちなみに日本では現在このコーディネーターは二人)きたといいます。
この作品はブラッド・ピット氏が率いる「プランBエンターテイメント」が製作、映画の冒頭近くに登場するアシュレイ・ジャッド氏が本人として登場していました。
「ヒトラーのための虐殺会議」(2020年/ドイツ/112分)
「1942年1月20日12:00~13:30 ドイツ、ヴァンゼー湖畔にて」と記された議事録に則して描かれた、これまでありそうでなかった!作品。
出席者はドイツ帝国官僚(ゲシュタポ、親衛隊、外務、法務、内務、各総督府関係他)15名と秘書1名。議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。
1933年1月30日ヒトラーの首相就任から9年後に開催された「ヴァンぜー会議」が大規模なホロコーストを急速に進めたが、その計画は産業的でいかにして決められたのか...美しい湖畔の清潔なサロンで。
1部のみ保存されたこの議事録がアドルフ・アイヒマンによるものであり、また積極的に「計画」を提案する姿などを目のあたりにするのも衝撃です。
イェルサレムでのアイヒマン裁判(1961年)を傍聴したハンナ・アーレントば凡庸な悪゙と評しましたが、いかにも悪人然とした人々ではなく、忠実なる官僚たちによって交わされる議論が(戦慄するような)、今もどこか(わが国)で交わされている....とリアルに想起させらます。
この二つの作品は全く対局にあるかのように時代も内容も異なりながら、どちらも映画の可能性「社会を変える力」をみる思いでした。
「あした転機になあれ」
1冊1500円(税込)+送料 注文先 2B企画 ・・フアクス 042.493.0874またはメールでoffice2b@jcom.home.ne.jp
題名は本書を読んで何か参考にしてもらい、いいことがあるといいなあという思いで付けました。
25年間発行してきた「ウィメンズ・ステージ」でインタビューした女性たちの他、新聞記者をしていたときのインタビューもまじえて掲載。いい言葉というより、コロナ禍の中で惹かれる言葉や人生後半に当たり、知っておいたらいい内容を取り上げました。
取り上げている方たちの一部です。
俳優・吉行和,/有馬稲子,中村メイコ、倍賞千恵子、浜美枝/作家・落合恵子/日本画家・堀文子/評論家・樋口恵子/脚本家・小山内江子、大石静/感性アナリスト 黒川伊保子/家事評論家 吉沢久子/映画監督 松井久子、鎌仲ひとみ/報道写真家 嬉野京子/東京新聞記者 望月いそ子/精神科医 香山リカ/詩人 小森香子/女性史家 米田佐代子/元NHKアナウンサー 山根基世/芸人 おしどりマコ
朝日新聞のタブロイド版2022年6月16日付けに掲載されました
女性誌゜ウイメンズ・ステージ」で25年間インタビューした女性たちの珠玉の一言等をまとめました。題名の『あした転機になあれ』はこの本を読んで、これからの生き方にヒントになったり、何かいいことがあるといいなというもの。ただいま2冊目を執筆中です。
エッセイ塾では何回か、外に出て楽しんでいます。私の雑誌のインタビューに同席してもらつたり、NHKまででかけて有働アナに会ったら、大河ドラマの脚本家の話を聞いたり。1月は、何度もインタビューさせてもらつた作家落合恵子さん経営のクレヨンハウスへ。原宿から吉祥寺へ移転したので興味津々で出かけました。まずはオーガニックのランチに。若い男女が多く、こういうものに関心を持ってくれてるのが嬉しい。そして本の部屋へ。クレヨンハウスでは井上ひさしさんら作家を招いてのイベントも多く、その様子も展示。私の著「あした転機になあれ」には落合恵子さんも載ってるので、置いてもらうことになり、嬉しい限り。
エッセイ塾は近くの絵本喫茶で。今年のテーマは「まだまだ育ちざかりー痛いの、痒いの、と言わない」。グチばかりでなく時間を大切に使っていこうと交流しました。帰りなもちろんいろんな店の並ぶ吉祥寺。美味しい最中などを買い求めましたよ。
写真を撮るのを忘れ、ランチしたとこだけ、パチリ。ほんとは本棚が良かったかな。
1、 日ごろから五感を研ぎすませる
年齢を重ねるとどうしても衰えていく。どうするか。意識して感覚を立て、ものをみるたり聞いたりす
ること。ぼんやりしていたものがはっきりしてきて、ものごとを味わう感覚になる。ひとりで行く。感
動して、その余韻をかみしめるにはひとりが最適。感動したものを文章にする
2、知性の貯金に励む
3、 「もう年だから」は禁句。年齢に縛られない
4、 疲れたり、辛いと思うことは誰にでもある。自分を励ます工夫をもつ
5、心も体も頭にも、ケアを怠らず書いていきたい
人は意識していないが、人生は刹那という時間の最小単位を運ぶこと。刹那はとめどなく続いていくけれ
どいつ途切れるか保証はない。あっという間に人生は終わってしまう。大事なのは日々の時間であり日々
の時間を大切にするかしないかで人生に差が出る。
日常で心を動かされるものに出会ったら、立ち止まってじっと見つめる。その感動をかみくだき、具
体的な文章にしていくことが書くということ。
リズム感を身につけるには本を読むのが一番。自分の波長にあう本を見つけたい。どんなに有名な作で
も自分に合わないと思ったら読まなくてよし。
声を出して読む。体に染み込んでいくはず。それが自分の文体。
自分の波長に合った本を丁寧に丁寧に読み込んでいきたい。
女性作家は自身の生き方、苦悩などを作品に表しています。そこで女性としてどう生きて、乗り越えてきているのかも含めて作品を楽しもうという読書室です。2022年で15年目 115回となります。
誰でもエッセイは書けます。自分の思いをつづるものだからです。塾は15年目。この間書きつつ桁エッセイは65冊の本となりました。ぜひ一生に一度、自分と向き合い、また気軽に書いてみませんか。高理由したり、完成すると出版パーティをみんなで開いて楽しんでいます。
2021年は『赤毛のアン』を原文で1年間学びました。講師は翻訳家・瀬谷實氏。盛況でした。
「すてーじ・刻」では、ライブ、演劇、ドキュメンタリー映画上映、スマホの勉強会など、今、知りたいこと、学びたいこと、楽しみたいことを取り組んでいます。
自治体や出版社などにエッセイの書き方の講演に行っています。エッセイは誰でも書けます。書きたい方はお知らせください。数人でも個人でも通信でも行なっています。気軽にどうぞ。上は出版社主催、下は西東京市主催。ベビーホテルの問題では各地の保育関係の団体でで講演。2006年日本母親大会女性部学習会で講演。2012年国際女性デー神奈川県集会では「今を生きる女性たちへ」をテーマに講演。2020年1月新春の集い(婦人民主クラブ主催)「私が主役の生き方」と題して講演しました。